イート•ザ•ワールド

ワセジョのカフェ店長は世界のご飯を食べてみたい

日本の接客って、本当に素晴らしい?

日本の接客は丁寧で素晴らしいという通説に対して違和感を感じるのは、決して私だけではないはずだ。

”没個性”の接客に囲まれて育ってきた現代のアルバイター達は、生まれたときからマニュアル化されているのではないだろうか。

 

私はカフェでアルバイトをしている。これは高校三年間をスイスで過ごした後初の飲食バイトになる。大学一年生のうちは某予備校でぬくぬくデスクワークをしていた。今のひたすら体を動かす飲食バイトでは、バイト後に脚が浮腫む。新感覚。私はまだ新人なので、ひたすらホールで接客をしている。

 

接客をしながら少し考えたのは、日本人が言いがちな「日本のサービスは他国より優れている」みたいな台詞が本当なのだろうかということだった。自分が他の国の給仕よりも優れた接客をしているかといえば、そんなことは絶対にない。敬語が全て棒読みになってしまう給仕が優れているかといえばノーである。前のバイトで指摘され続けた自分の敬語の棒読み感だが、ついに一年経っても治らなかった。ぜひどなたかにイントネーションのコツなど師事願いたい。

自分のことから話を戻すと、日本の接客が優れているのかどうか。

経験を思い起こして、比較してみることにする。

 

比較対象がバラバラだと不公平なので、日本でも海外でも、一皿1000円〜2000円程度で提供していて、常に3人は給仕のいる規模のレストランの接客で比べることにする。価格設定はある程度サービスも評価価値に入る価格帯だと思うからだ。

 

まずはアメリカの接客から。

ご存知の通りアメリカはチップ文化だ。つまり給仕は、接客に手を抜くともらえるお金が減ってしまう。そのせいなのかなんなのか、アメリカで感じの悪い給仕には出会ったことが無い。全体的に見ると、フレンドリー、きさくな印象が強い。お客との距離を縮めてくるかんじだ。フライデーズのようなファミレスでも、プロ意識のようなものを感じる。その場の雰囲気を盛り上げてくれる存在である。彼らはミスをしても、あまり気にしない。明るく謝られるのでなぜか許してあげたくなる。個人的にはとても好みな雰囲気の接客だ。貼り付いている訳ではない笑顔も素敵。

 

次にフランスの接客。

ヨーロッパ代表をイギリスにしようかフランスにしようか迷ったが、パリにした。パリの接客には人間味を感じる。自分に正直な接客をしている。忙しいときや疲れているとき、彼らが心の中で何を思っているのかが微妙に伝わってくるような接客が多い印象だ。自分の興味のあるものやことがあると、彼らのテンションは突然あがったりする。でも、無理に笑顔をつくろうとはしない。

以前パリにあるアンジェリーナというモンブランの有名なカフェで、ギャルソン(給仕)に話しかけられて少し話をしたことがある。そのとき彼は、「パリは退屈でつまらない街だよ。何も無い。ああ、僕も東京に行きたいなあ」と言っていた。人間味ありすぎた。

 

最後に日本の接客。

丁寧で気が利いていると思うし、なんといってもミスが少ない。ただし、存在感はない。客の需要を満たして終わり、という感じが否めない。給仕が客の想像の上を行く楽しさを与えるだとか、心地よい給仕を楽しむために客がお店へ脚を運ぶということは、この価格帯のレストランだと中々ない。アメリカ、ヨーロッパと違うのはその点が大きいと思う。客に人としての魅力を感じさせる余裕は、日本の給仕にはない印象。そもそも日本人がレストランに魅力的な給仕を求めていないからなのだろうか。精密でミスが無く、足りないものにはすばやく補充をするけれど、個性が埋没している。

 

現在私は20歳で、今年21歳になるが、小学生時代お世話になったものと言えばファミレスである。基本的には毎日家のご飯だったが、塾の後だけは頼むとファミレスに連れて行ってくれた。そのファミレスの思い出の中に、給仕の人はいない。あんなにお世話になったのに、一人の印象もないのだ。

1992年のガストの登場によってドリンクバーや呼び鈴というファミレス•スタンダードが確立され、ファミレスはそれまでの家族でお出かけするレストランから、大衆食堂化した。ファミレスの数は1992年から増殖し身近なものとなったため、私の世代(1994年生まれ)はおそらく多くの人がファミレス慣れしているんじゃないだろうか。中学生時代は友達とご飯と言えばファストフードかファミレス、みたいな。私の場合、試験勉強といえばジョナサンだった。

 

ファミレスに慣れているということ、それはつまりファミレスの給仕に慣れるということでもある。同じ制服を着て、呼び鈴で降臨し、客の言った注文通りに電子パッドを打って去る。そんな接客に慣れているのが、私たちの世代なんじゃないかと思う。

この接客に慣れれば、この接客が普通だと思い込む。マニュアル化された接客が普通なんじゃないか、これが接客なのだと思い込む。そして自分がアルバイトをする年齢となったとき、それまで接客された経験を思い出しながら、接客とはこういうものだろうと接客する。

国民性というのもあるだろうし、もしかしたら日本人にはこの距離感が合っているのかもしれない。ただ、私はそこに魅力を感じないし、このままでは没個性的な接客のループが起きるのでは、と少し心配している。